高橋巖・人智学吉祥寺講座、町田講座報告 2023

 

 吉祥寺講座

 

 

 

 

[オカルト的な読み方と聴き方]

                        ドルナハ1914年10月3日-10月6日

 

 

 

 

 

1月7日☆第3講ふたたび最初から。

 

 

    霊学の死活問題ー「われわれ人間は、常に霊的本性たちの営みの中で生きながら、

 

    そのことをわれわれの肉体の中にまで持ち込むことが許されていない。もし持ち込

 

    んだら、常に死を迎えることになる。そのようなわれわれ人間とは、一体いかなる

 

    存在なのか」

 

 

 

    この時、第一次世界大戦の中、おおぜいの人が大切な人を戦争で失っている。

 

    ある意味では、世界中が戦争の中にとり込まれてしまっているような状況。

 

    現在のウクライナのような状況が世界中に拡がっているような状況。

 

 

   

    戦争でいつ死ぬかわからないような状況の中で、いったい神秘学、霊学はどんな意

 

    味があるのか、とシュタイナーは自分で尋ねている。だから「霊学の死活問題」。

 

 

 

 

    霊視内容をそのまま自分の意識の中に持ち込むと、たちまち死んでしまう。

 

    もし本当に霊的体験が持てたとしたら、たちまち死の危険にさらされる。

 

 

 

    第3講のシュタイナーは、本当に第一次世界大戦のさなかでなければ語れないよう

 

    な口調で語っている。

 

 

    「死の危険」とは、いつ自分に降りかかってくるかわからない死の危険。

 

 

 

    いつ死ぬかわからない人のための霊学、を語っている。

 

 

 

    いつもなら10年経とうが、20年経とうが、ひたすら待ちに待つのが学ぶことの本

 

    質だ、と言っていた。

 

 

 

    でもここではそういうことを言っていられない、いつ死ぬかわからない状況の中 

 

    で、いったい自分たちはどのように死に向き合うことができるのか、死とはどうい 

 

    うことなのか、死ぬ前に、この世で生きるというのはどういうことなのか。

 

 

 

  

    この4回のテキストは、シュタイナーの最高の内容だと思う。

 

 

 

    道に迷ったり、いったん進もうと思ったのに諦めて退いたり、そういうシュタイナ

 

    ー自身の姿勢がもろに描かれている。

 

 

 

    きちっと整理された思想内容を語っているのではないので読みにくいが、その分、

 

    時代の荒れている状況のようなものも見えてくるし、シュタイナーが何としても伝

 

    えたいという大事な問題点が、この中にストレートに出てくるので、それをどこま

 

    で共有できるのか、というのが今回の私たちのテーマだと思う。

 

 

  

     この第3講を徹底的に自分のものにしておきたい。

 

 

 

             まずシュタイナーは、簡単に語っていない。あれこれ迷いながら行ったり来たりし

 

     ている。そういう流れの中で、私たちが何を読み取ればいいのか、何が大事なメッ

 

             セージなのか、それを自分で見つけ出さなければいけない。

 

 

 

 

     今回難しいが、第3講をぜひ何度も読み返したり、ノートを取ったりして、第3講

 

               のテーマを自分のものにしておきたい。

 

     それは絶対にシュタイナーの思想を考えるときの土台になるはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

1月21日☆第3講、ふたたび初めから。

    

     内容が、どんどん深くなっていきます。

 

 

 

 

 

     母音は魂の表現。

 

     私たちの魂が、霊界の母音系。

 

     私たちの魂は孤独で、いつも結びつきを求めている。

 

 

 

     子音は形象=すがた、かたち。

 

    

 

     母音である魂が子音を求め、形象と結びつくことで、意味を明らかにすることが

 

     できる。

 

 

 

     『私たち人間は誰でも、見霊者がその一片を霊視する一連の形象の中に、常に存

 

      在しているのです。形象はいつでも周囲に存在しており、私たちは常にその中

 

      に存在しているのです。』

 

                      この文章をノートして、5分間瞑想する。

 

                      第3講が自分のものになる。

 

 

 

 

 

     もうひとつ、5分間の瞑想。

 

 

     眼を閉じて、自分が光のない真っ暗闇の中にいるとイメージする。

 

     はじめの2分間、集中して闇の世界を作る。

 

 

     その中に光り輝くすがた、かたちが現れる。

 

     どんなかたちでもいい、光を発しているかたちが目の前にいくつも現れてくる。

 

 

 

     うまくいくかいかないかはどうでもいい。

 

     ただやろうとすることだけが問題。

 

 

     大事なのは、一つに集中することで魂の形を実感すること。

 

     自分の魂が自分の中で一つのイメージを作り、それと一つになろうとしている。

 

    

     なろうとして、できなくてもいい。

 

 

     なろうとする努力を瞑想という。

 

 

     結果ではなくて一生懸命何かをやろうとする、その形が瞑想。

 

 

 

     あとのことは「待ちに待つ」、ひたすら待てばいい。

 

 

     問題は、自分で自分の中に特別の空間を作ることができたかどうか。

 

 

     シュタイナーは、魂の力をそういう形で育てて、鍛えていこうとしている。

 

 

     できるできないという結果はどうでもよくて、何かを一生懸命やろうとする努力

 

     だけが、母音が子音と結びつくエネルギーになってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月4日☆瞑想と形象

 

    

    シュタイナーは第2講で、瞑想によってふだんは眼に見えない様々な理念、思いが

 

    形になって現れてくる、と言っていた。

 

 

 

    その形は感覚的な知覚では見ることができないけれども、この世の現実の中のいた

 

    るところに、その眼に見えない形象が現れている。

 

 

 

    シュタイナーにとっての瞑想の目標は、形象を体験すること。

 

 

    目をつぶって、あり得ない世界をイメージしてそこに没頭する。

 

 

 

    例えば「光り輝く光の海」。あり得ないことをイメージしようとすると自我が関与

 

    できなくなって、「こんなことをしていて何になるのか」という思いもなくなる。

 

 

 

    自我の働きがなくなると、自分の中のイマジネーションが根本的に抑えられて、そ

 

    こに形象が現れてくる。すがた、かたち。この世のすがた、かたちではないもの。

 

 

   

    それがシュタイナーの瞑想法の第一の課題。

 

 

 

    しかしそうやっても向こうから形象が現れてくる、という保証はいっさいない。

 

 

    何か月もあるいは何年も、意味のない瞑想を繰り返す。待ちに待つ。

 

 

    形象が現れることはあり得ても、めったにない。

 

 

 

    でも自分の意志で、この世の現実と違う空間を自分の中にイメージしている、とい

 

    うことだけで、すでにその人は霊的な世界と結びついている、とシュタイナーは言

 

    っている。

 

 

 

    具体的にそれがわかるのは、例えば夢がかわる、そして意識も変わる。

 

 

 

 

 

 

    守られている

 

 

 

    「通常の日常意識においては、この生まなましい霊的本性の映像だけにしか触れら  

 

    れないようにすることで、私たちは守護されているのです。」

 

 

 

    私たちは守られている。

 

 

 

    私たちにとっての本来の課題は、この世を真剣に生きること。

 

 

    

    だから私たちは、この世を真剣に生きるように霊的本性たちに守られている。

 

 

 

    真剣にこの世を生きることができなくなるような霊的体験だったら、それは私たち

 

    を守ってくれている霊的本性にとっては、あってはならないことだから。

 

 

 

 

 

 

 

4月8日☆変容能力と悪

 

 

    霊界を生きるときの経過とは、人間がいわば自分から抜け出て、他のものと一つ

 

    になって、さらに他の本性に自分を変容させること。

 

 

 

    それは愛の働き。

 

    神智学の思想は、愛の思想。

 

 

   

    「周囲のすべてに愛を向けることが、神秘学を志す者にとってどれほど重要なこと

 

    か、口ではとても言い表せません。」

 

 

  

    自分が興味ある主体ではなく、興味ある客体であるかのように生きようとする。

 

 

 

    「自分を客体にするにつれて私たちの外にあるすべてに関心が生じてきます。そし

 

    て世界の諸現象への帰依が育ってきます。」

 

 

 

    自分が外の何かに変わる。

 

    例えば、今の自分と桜の樹になったときの自分を瞑想を通して感じとる。

 

 

  

    変容できる、という感情。

 

 

    「変容するときに与えられるこの人間性への感情は、私たちを高慢な存在にさせま

 

    せん。なぜなら、変容しようとするとき、私たちは自分のことを、今変容しようと

 

    している存在ほどには価値がない、と思っているでしょうから。…最も深い宗教的

 

    な敬虔さの感情は、変容できるという感情と結びついているのです。」

 

 

 

    しかし、この変容能力が間違った仕方で行使されると、悪になる。

 

 

    変容能力を権力のために利用する。

 

 

    当人も悪だと気がついていない場合、知ろうともしない場合、悪が働く。

 

 

 

    無意識で悪を働かせるのが、悪の本質。

 

 

    自分で悪だと気がつかないで、相手を支配しようとする。

 

 

    権力というのは、現在の世界の状況の中で一番目立った悪。

 

 

    でも当人は悪だとはぜんぜん思わないで、逆にみんなのため、と思い込んでいる。

 

 

 

    シュタイナーにとっての悪の問題。

 

 

 

 

 

 

4月22日☆第4講

 

 

     天使と大天使   時間と空間

 

 

 

     「この世で私と同じ時代を生きる友人と出会うには、ただその人物のいるところ

 

     に行けばいいように、死者との出会いも、その死者のいるところへ行く道を見出

 

     しさえすればいいと思っています。…天使との出会いの場合についても、そう言

 

     えるのです。」

 

 

 

     「しかし大天使に出会うためには、現在の時代から離れ、…たとえば…15世紀に

 

     までさかのぼらなければなりません。……そこに大天使のまったき意識が、大天

 

     使の自己そのものが存在し、そして後世にその作用を及ぼしているのです。」

 

 

 

 

     空間と時間の問題は、シュタイナーの思想というよりは、現在のどんな思想にと

 

     っても必要な前提。現在を考えてそこから過去、未来の方に目を向けるという態

 

     度は、シュタイナーにとっては唯一な態度ではない、という。

 

 

 

 

     物質界の空間と時間からどうすれば自由になれるのか。

 

 

 

     物質界だけが唯一の世界なのか。

 

 

    

     過去と現在と未来、という時間の考え方は、物質界だけの考え方ではないのか。

 

 

  

     物質界の空間と時間から自由になる可能性はあるのか、ないのか。

 

 

 

     第4講の冒頭で、シュタイナーはそれを問いかけようとしているようだ。

 

 

 

     物質世界の中の人間と、その物質世界の人間を護っている天使の時間と空間、

 

     それを超えたところに別の時間と空間があるかどうか。

 

 

 

 

 

     シュタイナーは、過去と現在を区別する立場を離れている。

 

 

     現在の時間と空間の関係を超えている。

 

 

     私たちが物質中心に生きようとするときは当然、過去と現在を区別する。

 

 

     でも物質の世界から離れてみると別の世界が現れて、そこでは時間と空間が一つ

 

     に結びついている。

 

 

    

     物質空間が唯一の現実なのか、それとも過去を現在にする働き、16世紀を現在に

 

     する働き、明治維新を現在にする働き、それを物質空間、物質時間と別なところ

 

     に現在の存在として考えられるのかどうか。

 

 

 

 

     人間プラス天使の考え方は、時間と空間を現在のように考えている。

 

 

     ところが大天使の持っている世界は、過去だから現在、現在だから過去。

 

     過去と現在を一つに考えている。

 

 

     

     そうでないと現在そのものが見えてこない。

 

 

 

     過去と現在と未来。

 

 

     それが物質世界の中で存在している関係と、過去と現在と未来が霊的な、あるい

 

     は生命的な、シュタイナーの言うエーテル世界における「過去だから現在、現在

 

     だから過去」という考え方が同じように考えられるかどうか。

 

 

 

     ここはちょっとこの問題にこだわってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

5月27日☆第4講

 

 

    空間を体に、時間を魂にする

 

 

    時間と空間の関連というのは、シュタイナーの思想の中の決定的に重要な部分なの

 

    で、ぜひ自分の問題として考えてみたい。

 

 

   

    自分の中にどんな時間が流れているのか。

 

 

    今の自分がどんな過去に守られて、過去のお蔭で今があるのか。

 

   

    その過去は現在に生きているのか。

 

 

 

    過去と現在がどういう関係にあるのか。

 

 

 

   

    空間を体に、時間を魂にする。

 

 

    実際に体で働きかける世界は、時間ではなく、空間。

 

    

    でもその時のさまざまな思い、衝動、意図は時間。魂がそれを用意してくれた。

 

 

 

    魂が用意してくれた時間の中で、体が今、空間に働きかける。

 

 

 

 

 

 

  

    時間と空間の問題から言葉の問題に移る。

 

 

    言葉には子音と母音がある。

 

 

    母音というのは、内なる思い。

 

 

    内なる思いを眼に見える形にするために子音がある。

 

 

    母音と子音が結びつくことで、内なる思いが外に現れる。

 

 

    存在の根底に言葉があって、その言葉には母音と子音が分かれている。

 

 

 

    人間の言葉がどのくらい尊いものか、この第4講でシュタイナーが語ってくれてい

 

    る言葉ーそれはまさに神の思いそのもの。

 

 

 

    空間を自分の体にし、時間を自分の魂にする。

 

    それによって、霊的宇宙の活発な営みと結びつく。

 

 

 

 

    「宇宙のどこへ身を置こうとも、宇宙のいたるところには、意味が生きています。

 

    そのいたるところで、魂の中に意味が流れ込んできます。普遍的な意味が個別的な

 

    意味から合成されて、宇宙の中で働いています。宇宙の多様な点から、事物の意味

 

    が、さまざまに実を結ぶために、芽生えます。個別的な意味として、個別的な意味

 

    から個別存在から芽生えてくる霊的なものが、ひとつの普遍的意味を持った宇宙の

 

    言葉となるのです。」

 

 

 

    これは宇宙と人間との関係を考えるときの、シュタイナーの考えの一番根底にある

 

    大事なイメージ。

   

    

 

 

    言葉と意味が結びついている。

 

 

    言葉の凄さは、限りない凄さ。

 

 

 

    言葉によって、一人ひとりの個人が宇宙と結びつくことができる。

 

 

    それぞれの民族に、それぞれの民族語による霊界と物質界を結びつける言葉があ

 

    る。

 

 

 

    シュタイナーは、ここでは母音と子音を分けているが、日本語には母音と子音とい

 

    う区別がない。

 

 

    分けなくても母音があるから子音がある、子音があるから母音がある。

 

 

    日本語では母音と子音がいつも結びついて存在しているので分ける必要がない、と

 

    考えている。

 

 

 

    言いかえれば、子音の中に母音を感じる、そういうセンスが日本語の場合には発達

 

    している。

 

 

 

 

 

    一人ひとりの人間が宇宙だ、とここでシュタイナーは言っている。

 

 

 

 

 

 

6月3日☆第4講

 

 

 

    日中、意識が変わらない、ということに悩んだことはないか。

 

    今の自分の意識のままでいいのかどうか。

 

    朝起きてから、夜眠るまでの自分の時間の過ごし方でいいのか。

 

 

    シュタイナーは何と答えるかというと・・・

 

 

    今のままでまったく正しい、十分だ、と。

 

 

    今のままの自分で。

 

 

 

    ただ、見る見方が狭すぎるので、自分のことを否定的に見てしまっている、と。

 

 

 

   

    「私たちが自分のもとに留まろうとはせず(自分の履歴書のもとに留まろうとはせ

 

    ず)、また物質生活に必要な空間と時間の中に生きるのでもなく(自分が物質生活

 

    を営むために空間と時間を生きている、というのでもなく)、いわば空間を自分の

 

    からだにし、時間を自分を魂にすることができたとき、霊性の中に漠然と浸るので

 

    はなく、霊的宇宙の活発な営みと一つに結びつく」。

 

 

 

    自分がこれこれしかじかの名前を持って、これこれしかじかの履歴書を持って、今

 

    の日本の社会の中に生きている、そう考えたら空間と時間がどんどん狭くなって、

 

    自分を不自由にしてしまう。

 

 

 

 

   

    「空間を体に、時間を魂に」となっているが、逆にして「体を空間に、魂を時間に

 

    する」の方がわかり易い。

 

 

 

    「体を空間に、魂を時間にする」と日常の自分と近くなる。

 

 

 

 

 

    「このように霊界の中に認識しつつ参入するときには、魂と時間との関係をまった

 

    く別様に捉えなければなりません。そのような体験、あるいはそのようなイメージ

 

    を持つときにのみ、霊的現実の中に参入するときの魂の気分が生じるのです。」

 

 

 

 

    魂の気分。

 

 

 

    すべてが魂の気分。

 

 

 

    自分がこのままで一生を送っていいのか、悪いのか。

 

 

 

    シュタイナーは、それは魂の気分だと言う。

 

  

    魂の気分が霊的になると、いたるところに意味が出てくる。

 

 

 

    「宇宙のどこへ身を置こうとも(今どんな人生を送っていようとも)、宇宙のいた

 

    るところには、意味が生きています。そのいたるところで、魂の中に意味が流れ込

 

    んできます。」

 

 

 

    自分の生きているいたるところで、魂の中に意味が流れ込んでくる。どんなつまら

 

    ない人生だと思えても、宇宙のいたるところには意味が生きていて、魂の中に、ど

 

    んな生活を送っていようとも、意味が流れ込んでくる。

 

 

 

    今のままの自分の中にいつでも意味が流れ込んでくる。

 

 

    そしてその大本の意味は、どこから出てくるのか。

 

 

    「宇宙の多様な点から、事物の意味が、さまざまに実を結ぶために、芽生えます…

 

    個別存在から芽生えてくる霊的なものが、ひとつの普遍的意味を持った宇宙の言葉

 

    となるのです。」

 

 

 

    どんな人生にもものすごい価値がある。どんな人生にも大切な意味が流れ込んでい

 

    る。それを実感させるのが神秘学だ、と言っている。

 

 

 

     自分が変わらないと何も変わらない、のではなく、自分が変わろうが変わるまい

 

            が、宇宙が、自分の中に過去と現在が生きている。

 

 

    途方もない空間と時間の中で、今、自分が生きている。

 

 

 

    そのことを実感できるか。

 

 

 

 

 

 

 

6月17日☆第4講

 

 

     「空間を体にする」

 

 

     どんな場所も自分の生きる場所だ。

 

     日本人だから日本が自分の国土だ、というのではなく、地上のどの場所でも、自

 

     分がそこを共有することができる。

 

 

     どんな空間も自分と無縁ではない。

 

 

     空間は地上の空間に留まらない。太陽や月や星々の存在する大宇宙も空間。

 

 

     自分の体を宇宙いっぱいに拡げる。

 

 

     どんな空間とも縁がある、というイメージ。

 

 

     自分と縁のない空間など、どこにもない。

 

    

     自分の肉体はどんなに狭い空間だけを占めているとしても、本来の自分の体は無

 

     限に拡がっていくことができる。

 

 

     言いかえれば、空間感覚。

 

     

     空間というものをそもそも感じとることができるのは、自分が体を持っているか

 

     ら。

 

 

     私が、眼や耳や皮膚やありとあらゆる感覚を持っているから空間と縁がある。

 

 

 

 

 

     「時間を魂にする」

 

 

 

     時間のことを、私たちは歴史という形で学んできた。

 

 

     過去の歴史、生まれてからの自分の歴史、先祖代々の歴史、あるいは本で読んで

 

     学んだ16世紀のイタリアの歴史、誰かと話をしているときの、相手の歴史。

 

 

     そういうすべてが私の魂としっかり結びついている。

 

 

 

     魂と時間は区別できない、いわば同じ働き。

 

 

     

     歴史を「自分の歴史として読む」という感覚を、もし持っていなければ、ぜひ持

 

     ってください。

 

 

     歴史は、中国の歴史も、インドの歴史も、ヨーロッパの歴史も、私の歴史だ。

 

     私の魂と結びついている。

 

     自分と縁のない歴史など、どこにもない。

 

 

     なぜなら、時間とは私の魂のことだから。

 

 

 

 

 

 

     「いたるところには意味が生きている」

 

 

     このセンテンスの冒頭、「宇宙のどこに身を置こうとも、宇宙のいたるところに

 

     は意味が生きています。そのいたるところで、魂の中に意味が流れ込んできま

 

     す。」

 

 

 

     どんなところにも意味がある、ということは、「相手の立場に立つ」ということ

 

     とどこか通じ合う。

 

 

 

     この感覚を持つためには、大事な前提があって、それは「評価をしない」という

 

     こと。

 

 

     私たちは今、幼稚園、小学校の頃から評価を学んでいる。

 

 

     何に価値があるのか、その評価の感覚を育てる一番大事な手立てが試験なので、

 

     小学校から試験を受けさせられる。

 

 

 

     そして優秀な生徒と、優秀でない生徒を区別することを小さい時から教え込まれ

 

     る。

 

 

 

     だから「区別する」というのは、途方もないことを踏まえている。

 

 

    

     「いっさい区別しない」という立場があっていいはず。

 

 

 

     成績の優秀な子どもと優秀でない子どもを区別しない。

 

 

     差別のことを言っているわけではない。

 

 

     区別のことを言っている。

 

 

 

     差別はよくない、ということは感覚的にわかるが、区別がよくない、というのは

 

     結構感覚的に理解するのが難しい。

 

 

 

     だからシュタイナー教育では、試験はいっさいやらない。

 

     シュタイナー教育では区別をしないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     シュタイナーの思想の中では、空間と時間がいつも大事なテーマになって、いろ

 

     んな関連の中で語ってくれているが、存在する何かがある、ということの一番基

 

     本的な在り方は「空間と時間」。

 

 

     空間と時間の中に何かが存在する。

 

 

 

     人間が存在するときは、歴史的な関連から言うと、その人間がいつ生まれて、ど

 

     こで活躍したか。

 

 

 

     「いつ生まれて」というのは、時間。

 

 

     「どこで活躍したか」というのは、空間。

 

 

 

     存在を考えるときは、当然のように、いつでも時間と空間。

 

 

 

     日本では、相手のことを考えるとき、年齢や、まるで履歴書のような関係をまず

 

     考えてしまう。

 

 

 

     でも履歴書で相手を評価するというのは、本来ならあり得ない。

 

 

 

 

 

9月30日☆第4講後半

 

 

    ふたたび霊学書を読む意味

 

 

    ここで『神智学』なら『神智学』というシュタイナー自身が書いた書物を、今あら

 

    たに読む、というのは、『神智学』に書いてある内容をイメージして、その中のど

 

    のページでもいいから、一ページ分取り出して、それを瞑想してくれ、と言ってい

 

    る。瞑想するとは、一行一行、シュタイナーの言っていることを心の中で甦らせる

 

    こと。一行でも二行でも三行でも、あるいはもっと多くでも、そこにシュタイナー

 

    が自分の手で書いてくれた内容を自分の心に甦らせる。瞑想するのと、通読するの

 

    とではぜんぜん違う。ここでは、通読してくれ、と言うのではなく、自分の中に甦

 

    らせる。瞑想する。

 

 

    それが「心をこめて内なる魂の力で(そこに書いてることを)体験する」こと。

 

 

 

    『神智学』を瞑想のためのマントラとして読む

 

    

 

 

    日本語について

 

    

    日本語は本当にすごいコトバで、基本的に霊的な体験を、日本語を語ることで体験

 

    させてくれている。日本語のすごさというのは、例えば目標に向かうのではなく、

 

    動いて行けばいい、一か所に留まらないで動いていく。それを日本語では「道」お

 

    るいは「行く」という。道はまさに歩いて行く場所。目標に達するのではなくて、

 

    行うことでこの世を歩いて行けば、そのこと自体が尊いことだと教えているのが日

 

    本語。修行の「行」。

 

    問題は「道を歩く」ことなので、お茶なら茶道、取っ組み合いなら柔道、棒を持っ

 

    て向き合えば剣道、お花なら華道・・・。

 

    道、歩く、動く、ということを教養を身につけるすべてに当てはめているのが日本

 

    語。後になると段階に分けて、初段とか二段とか九段とか格付けをするが、本来の

 

    日本語のコトバで言うと、格付けでなくて、動いていること、それ自身に意味があ

 

    る。そう言霊は言っている。

 

 

    「私はこれまで繰り返して神秘学者、霊学者の謙虚さについて語ってきました」

 

    彼は初段なのか、九段なのか、そういう区別ではない歩き方、向き合い方。

 

  

 

 

 

    「人間の肉体を非唯物論的に把握しようと真剣に試みるなら、私たちは多くを達成

 

    できます。宇宙の母音体系と子音体系を感じる感じ方が、魂の中の内なる体験と衝

 

    動を目覚めさせるからです。ただそのための準備として、ひとつの感じ方を自分の

 

    中に呼び起こさなければなりません。その感じ方は霊界への進化に関して、ちょう

 

    ど子どもが言葉や文字を学ぶときの感じ方と同じようなものでなければならないの

 

    です。」

 

 

    コトバを母国語にするのに、どんな人も無意識に母国語にしている。シュタイナー

 

    はそれを、子どもが言葉や文字を学ぶとき、なぜ?と聞かない、と言っている。

 

    「水を飲む」というコトバを子どもが聞いた時、「なぜ、水を飲む、というコトバ

 

    を使うのか」、「飲む、とは何なのか」、「水って何なのか」、そういうことをい

 

    ちいち区別して納得できるようにしてから「水を飲む」というコトバに至るのでは

 

    なく、子どもの場合、逆だと言っている。外国語を自分のものにする基本は、外国

 

    語を学ぶときは、子どもになって学ぶこと。なぜ、とは聞かない、すべてを鵜呑み

 

    にする。そうすると後になって意味が分かってくる。それが子どもがコトバを学ぶ

 

    ときの感じ方だ、と言っている。

 

 

    母国語を自分のものにするのと同じように、宇宙を、したがって物質界だけでなく

 

    霊界を理解する、その理解の仕方のことを言っている。

 

 

    なぜそういうコトバがあるのか、それを考えるのは唯物論的。ひたすら受け入れ

 

    る、受け入れることに喜びを感じる。それが「子どもが言葉や文字を学ぶときの感

 

    じ方と同じ」。

 

    子どもが自分の肉体を感じとるのを同じように、真剣に感じとろうと試みるなら、

 

    私たちはより多くを達成できる。

 

 

 

    「魂の中の内なる体験と衝動を目覚めさせる」

 

    この表現、シュタイナー的なのでぜひ覚えておいて下さい。

 

 

     *   *   *   *   *

 

 

    本講座『オカルト的な読み方と聴き方』は、次回10月14日で終了し、21日は高橋

 

    先生のご要望により、全員での話し合いを行います。

 

 

    円型に座って、一人ひとり、自己紹介、最近気になること、好きなこと、あるいは

 

    講座に関して、なんでも結構です。お話しください。

 

 

 

    そして11月11日から、久しぶりの社会論、『社会の未来』(春秋社刊)の講義に

 

    入ります。

 

 

 

 

 

 

 『社会の未来』 (1919年10月24日ー30日 チューリヒ)

 

 

 

11月11日☆本の冒頭にある、訳者まえがき「読者のみなさまへ」とシュタイナーの「アッ

 

      ピール ドイツ民族と文化世界に訴える」   から始まりました。

    

          

           *1871年のドイツ統一国家成立から1918年のドイツ革命によるそ  

 

            の崩壊までの過程をふまえて、ルドルフ・シュタイナーは1919

 

            年3月に次の「アッピール」(『ドイツ民族と文化世界に訴え

 

            る』)を著わし、各分野の第一線で活躍している人たちに送り、

 

            同意の署名を集めた。またこの文章は多くの新聞紙上にも掲載さ

 

            れた。ここから彼は「社会有機体三分節化の理論」をもって、大

 

            戦後の実践運動に新しく乗り出していった ー 訳者

     

                   (本書「アッピール」の前に記載されている文章)

 

 

 

       

                    ー   ー   ー   ー   ー

 

 

 

     シュタイナーにとっての霊と魂の違いは、能動的か受動的か。

 

 

     能動的とは「素材が一切存在しないところでも…素材からの影響を一切受けない

 

     でも、自分の中から創造的なエネルギーを産み出すことのできる内なる能力…無

 

     から有を生じさせる能力…いわば絶対的な能動性」

 

 

 

     「シュタイナーはこのような能力を神的な力であり、どんな人の中にもその能力

 

     が一片の神性として内在している、と確信していました。そしてそういう自己創

 

     出的な能力を霊(スピリット)と呼びました。」

 

 

     そして「人間のもっとも創造的な能力である霊もしくは霊性がどのように社会を

 

     構成する力になるかを考え、社会の構成力としての霊を愛と呼びました。本書に

 

     おいても、…個人の中の社会を構成する力を霊に由来する愛と魂に由来する利己

 

     心という二つの極相互の働き合いによる力であると考えています」

                             (「訳者まえがき」より)

 

 

 

 

 

 

 

     シュタイナーの思想の、興味のあるところは生き残る。どんなに否定されても、

 

     21世紀までシュタイナーの思想はいろんな形を変えて、今ではベーシックインカ

 

     ムという思想に変わって現れている。でも根本は同じ。権力を三つに分ける。精

 

     神生活の権力、経済生活の権力、政治・法生活の権力。

 

 

 

 

     現在戦争が終わらないのは、この権力が一つに統一されているので、権力者が、

 

     自分を守らなければいけないという方向に気持ちが向いてしまっているから。

 

 

 

     これから皆さんと一緒にシュタイナーの社会思想を学びたいが、学ぶ意味は、21

 

     世紀の現在、シュタイナーの述べている三分節化、法と経済と精神の三分節化を

 

     どうやって育てるのか、という問題。シュタイナーは特に今の時代の問題点を明

 

     らかにしてくれているので、それを受けて私たちが21世紀に三分節化の思想をど

 

     う生かすのか、今の時代の状況をどう理解するのか、その辺のことを、この時間

 

     に皆さんと共有したいと思っている。問題提起をいろんな形でして頂きたい。

 

 

     晩年のシュタイナーが、あるべき未来の社会をどう語り、何を読者に伝えようと

 

     しているのか、それを一緒に学べたら、と思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・町田講座  

 

 

 

 

[「マタイによる福音書」講義  ベルン 1910年9月1日~12日]

 

 

 

 

1月10日☆シュタイナーにとってマタイ福音書の現代的な意味とは、遠い過去との出会い。 

 

 

     今の時代のキリスト教の意味を考えていたら、シュタイナーはいつの間にか、遠

 

     い過去の、アトランティス大陸が没落した後の後アトランティス期の一番大事な

 

     対立がイランとツランの対立だった。

 

 

 

     ツランは、いわばシャマニズムの文化、今自分たちを取り巻いている環境そのも

 

     のが聖なるものだと受けとって、環境の中で聖なる霊的な体験をする文化。

 

 

     今与えられている環境がまだ非常に不完全で本来の在り方をしていないので、私

 

     たちの課題はその環境をよりよいものに変えていくべきだ、という立場に立つの

 

     がイラン。

 

 

     今の環境が聖なるもので、変えなくてもそこに霊的な体験の場が与えられてい

 

     る、というのがツラン。

 

 

     今の環境が本来のあるべき形からすごくずれていて不完全で不平等なので、それ

 

     をあるべき形に変えるのが自分たちの課題だ、というのがイラン。

 

 

 

     私にとって大事なのは、マタイ福音書の中にイランとツランの対立からくる問題

 

     が、正面から取り上げられていること。そういう観点でマタイ福音書を読んだこ

 

     とがなかったので、この機会にあらためて福音書の意味、特に冒頭のマタイ福音

 

     書の意味をぜひ一緒に考えたい、と思った。

 

 

 

     シュタイナーのように、途方もない過去の中にそもそも福音書の意味がある、と

 

     いう考え方は、言いかえれば現在を体験しようと思ったら過去を体験するしかな

 

     い、現在を体験するために過去を体験する、ということ。別のコトバを使うと

 

     「時間を空間にする」ことだという立場。

 

 

 

     「時間を空間にする」ー自分の生まれてからこれまでの過去を現在の問題として

 

     あらためて体験する、その体験の仕方が、このシュタイナーのマタイ福音書の講

 

     義だと思う。

 

 

 

     その問題から、あらためて第一講、第二講、第三講と続くシュタイナーの問題意

 

     識をまず共有したいと思う。

 

 

 

     言い方を変えれば、人間関係の問題。私たちにとっての人間関係は、空間的に見

 

     えていて、それでは見るべきものが見えてこない。時間的歴史的に見るとき初め

 

     て現代が見えてくる、と言う観点。

 

 

 

 

     現代を個人の問題と同様に、現代の問題と考えるときでも、現代の時代状況の中

 

     で実感するためには、どうしても過去の歴史をもう一度振り返る必要がある。

 

 

     

     シュタイナーはそういう意味で、従来のように古代ギリシアのヘロドトス以来の

 

     ギリシア‐ローマ‐中世の流れの中の歴史ではない、もっと古い古代ペルシア期の

 

     フィルドゥーシーの『王書』から、現代のヨーロッパを見ようとしている。

 

     この観点がすごく重要だと思う。

 

 

 

 

     今のヨーロッパを知ろうと思ったら、ギリシア‐ローマ‐中世の歴史ではなくて、

 

     もっと以前のツラン対イランの対立=時代そのものを大事にするだけではなく、

 

     時代を知るために過去を知るというイランの立場、今の時代状況そのものが聖な

 

     るものだと考えるツランの立場=その対立がマタイ福音書に映し出されている。

 

 

 

 

 

 

2月14日☆第2講

 

 

 

    ゾロアスター教は、時間から2つの原理を生じさせる。

 

    光の原理と、アーリマン原理または悪しき闇の原理。

 

 

 

 

    「この原ペルシア的な発想の根底には、非常に深い認識が存在しています。

 

    すなわち、この世の一切の悪、物質界で闇と呼ばれるすべては、

 

    もとから悪でも闇でもないという認識です。・・・

 

    たとえば凶暴で凶悪な狼のような…存在に対して、それがもともとは善なるもので

 

    あった、と見ていることです。」

 

 

 

    「悪が生じたのは、以前に善なる存在であったものがあとになっても同じ存在であ

 

    り続け、変化し前進しようとしないで、以前の状態に留まり続けたからなのです。

 

    すべての悪しき存在は、以前の時点では善であったのに、変化した状況に適応しな

 

     かった結果なのです。」

 

 

 

 

            ゾロアスターは2人の優れた弟子に、それぞれ「周囲に拡がる空間の秘密」と

 

    「流れていく時間の秘密、進化と発展の秘密」をすべて伝授した。

 

 

 

 

    「空間の叡智」を授けた弟子には、自分のアストラル体を捧げた。

 

    その弟子は「トトまたはエジプト人のヘルメス」に生まれ変わり、

 

    偉大なエジプト文化を生じさせた。

 

 

 

 

    「時間の叡智」を授けた弟子には、自分のエーテル体を捧げた。

 

    その弟子はモーセ(モーゼ)に生まれ変わり、ヨーロッパの宗教の源を築いた。

 

 

 

 

 

      *  *  *  *  *

 

 

 

 

 

  バラ十字会、フリーメーソン、ドイツロマン主義に影響を与えたヨーロッパの近代

 

  の神秘主義の一番の原則の部分である空間と時間の秘密。

 

 

 

 

  始めにゾロアスターの教えがあって、その教えが、一方はアストラル体、人間の内

 

  的な感情の中に、もう一つはエーテル体、生きることの意味に関わって、いったい

 

  この世で生きるとはどういう課題があって、どういう意味があるのか、それをゾロ

 

  アスターはモーセに伝えた。

 

 

 

 

  一般のヨーロッパの精神史には出てこない内容だが、すごく重要な問題が含まれて

 

  いる。

 

 

 

  

  今の私たちにとって時間とは何なのか、歴史とは何なのか、現在にとって過去とは

 

  何なのか。

 

 

 

 

  ゾロアスターがヘルメスに語り、そこからバラ十字会、フリーメーソン、近代の神

 

  秘主義、ドイツロマン派やゲーテにいたるまで思想が流れている。

 

 

 

 

 

  ゾロアスター(ツァラトゥストラ)、ヘルメス、モーセの系統というのはなかなか

 

  結びつかないが、ここではその問題をすごく深めながら重要な内容を全部取り上げ

 

  てくれている。

 

 

 

 

  これから、近代、現代における時間と空間の問題を考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

4月11日☆時間を空間にする

 

 

 

  時間とは、過去から現在への流れ。

 

  空間とは、現在。

 

  大事なのは、時間を空間にすること。

 

 

  第2講はゾロアスター、ツァラトゥストラの「時間を空間にする」世界観を語ろう

 

  としている。

 

 

 

  「彼(ゾロアスター)の教えは、アフラ・マズダー(オフルマズド)という善き光

 

  の本性の原理とアーリマン(アフリマン)という暗い悪の原理という、二つの原理

 

  から始まります。しかし…(この)二つの原理は、更にズルワン・アカラナという

 

  共通の原理にまで遡るのです。」

 

 

 

  「ズルワン・アカラナは「創造されざる時間」と訳されています。ですからゾロア

 

  スターの教えの根源の原理は、静かに宇宙を流れる時間なのです。」

 

 

 

  根本は「時の流れ」。

 

 

  認識とは、時間の流れをその都度その都度、空間にすること。

 

 

 

  江戸時代という時間を現在に変えるのが例えばテレビドラマ。

 

  ドラマでいつでもあらゆる時間の流れが体験できる。

 

  自分の知らない世界が、あっと言う間に今の時間に変わる。

 

 

 

  音楽も19世紀の交響曲を聴くとしても、聴いているわれわれは21世紀。

 

 

  21世紀に、今19世紀が響いている。

 

 

  それをシュタイナーは、時間を空間にする、と言っている。

 

 

 

  歴史学という学問の場合、基本的な課題は、過去を現在に変える作業。

 

  ある出来事が起こったときに、それが今から何十年、何百年前のことだ、と受けと

 

  ると、時間が空間化されない。

 

 

 

  ものを考えるとき、静かに流れる時間に向き合って、そのつどその時間を現在に変

 

  える、という作業が人間に託された大事な課題。

 

 

 

  霊界からの委託。

 

 

 

  「委託」という言葉は、ドイツの詩人リルケのキーワード。

 

 

  何かに何かを委託される。

 

 

  リルケは、過去から委託された何かを現在化することを、ポエジー=詩だ、と考え

 

  た。

 

 

  リルケの最晩年の「ドゥイノの悲歌」は、それがテーマ。

 

 

 

 

  歴史とは、時間を空間にすることーそのイメージが自分の中に生きていることが、

 

  私たちの生き方の土台にもなる。

 

 

  21世紀はどんな世紀か。19世紀、20世紀を学ぶことでイメージできる。

 

 

  大事なのは過去、つまり明治、大正、昭和という時代の流れが自分の中にどういう

 

  形で今の時代と結びついているのか。

 

 

  自分のものの考え方、自分の価値観の中に、明治、大正、昭和がどういう形で結び

 

  ついているのか。

 

  

  あるいはそういうことはいっさい無関心でいられるのか。

 

  果して無関心で過去に向き合うことができるかどうか。

 

 

  第2講は、その問題。

 

 

 

 

 

 

12月5日☆第3講

 

 

   「マタイ福音書」を語るのに、シュタイナーはここで、壮大な宇宙の諸経過、宇

 

   宙論を語り出します。

 

 

   「ゾロアスターの偉大な二人の弟子、ヘルメス(またはトト)とモーセとの相互

 

   作用について述べようとするなら、この相互作用が、偉大な宇宙経過の繰り返し

 

   であることを知らなければなりません。」

 

 

 

         *  *  *  *  *

 

 

   「当時の人は…宇宙ハーモニーと生命エーテルの営みを共に体験することができ

 

   ました。言い換えれば、太古における人間は―たとえ地上では宇宙ハーモニーと

 

   生命活動とが生物の中にしか作用を現さないとしても―、宇宙ハーモニーとな

 

   り、空間を脈動づける生命となって働きかける太陽の作用力を知覚できたので

 

   す。」

 

 

   自分にとってのエーテル体は、どういうところに働いているのか。

 

 

   シュタイナーが「物質体としての身体、内面生活における魂との間に生命体、エ

  

   ーテル体が働いている」という、『神智学』に出てくる一番基本的な問題だが、

 

   エーテル体とはそもそも何なのか。

 

 

   どんなに現代のテクノロジーが発達しても、一粒の種を創ることは不可能。柿の

 

   種、朝顔の種、手に取ってみれば何でもない一粒の種だが、現代の人間の技術

 

   力、能力ではどんな種も創れない。本物の種には生命(いのち)が備わってい

 

   る。その生命とは何なのか。

 

 

 

   「ですから一方で、宇宙ハーモニーもしくは生命エーテルの作用が淡い残照のよ

 

   うに私たちの内部に残ってはいたのですが、その一方で、人間の内面生活が外界

 

   を再現する知覚や感覚で充たされるようになるにつれて、宇宙音楽を聴くことが

 

   できなくなっていったのです。」

 

 

 

   宇宙ハーモニー、宇宙音楽。宇宙音楽を聴くというテーマ。このテーマは今の時

 

   代、ますます重要になってくると思う。宇宙音楽が聴こえなくなる、聴きとれな

 

   くなる、もっとストレートに言えば、音楽が聴きとれなくなる、という状況。

 

 

   音楽に耳を傾けるというのは、音楽がわかるかどうか、というのとは関係ない。

 

   音楽がわかるかわからないか、ではなく、音楽に耳を傾けることができるかどう

 

   か、の一点だけ。夢中になって耳を澄ますと、向こうから音が響いてくる。

 

 

 

   芸術体験とは何なのか、と考えたときに、私の場合は学生時代、美学と西洋美術

 

   がテーマだったので、音楽喫茶「クラシック」の雰囲気をあらゆるときに体験し 

 

   直した。

 

 

   美術館に行く時も、ただ絵画が語りかけてくる、それを受けとめる。音楽でも絵

 

   画でも、自分がひたすら無になって、働きかけてくるものを受けとめるという作

 

   業、それが美的ということだ、ということを何度が実感したことがある。

 

 

   受けとめる自分をゼロにして、ひたすら受けとめるという作業。それが美的であ

 

   るということの一番の基本だということを学んだ。

 

 

 

   「人間の内面生活が外界を再現する知覚や感覚で充たされるようになるにつれ

 

   て、宇宙音楽を聴くことができなくっていったのです。そして人が自分を自我存

 

   在であると感じるようにつれて、宇宙を貫き流れる神的な生命エーテルを知覚す

 

   ることができなくなりました。」

 

 

   

   宇宙を貫き流れる神的な生命エーテルを知覚する

 

   

 

   「人間は宇宙音楽と生命エーテルから成る、圧倒的な宇宙生活の淡い反映しか持

 

   てなくなったのです。」

 

 

 

   「宇宙音楽と生命エーテルから成る、圧倒的な宇宙生活」ー何を言おうとしてい

 

   るのか。宇宙音楽が聴けなくなるという状況。宇宙音楽を聴く、これはどういう

 

   ことか。生命形成力というコトバ。ぜひ覚えておいて下さい。

 

 

 

   私たちの中にある「生きたい」という、宇宙意志と結びついた、生きようとする

 

   意志、生きようとする宇宙意志、それをどうすれば自分の中に力強く生かすこと

 

   ができるのか。今日はそのテーマを一緒に語りたいと思った。

 

   このテーマはまだ続くので、次の時もぜひ宇宙音楽とは何なのか、生きるという

 

   こと、そこにどんな意味があるのか。来月もこの点について考えたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

吉祥寺講座

 

町田講座

 

 

「危機の時代の人智学」シリーズ  

         春秋社刊

    ルドルフ・シュタイナー

           高橋巖訳

①『第五福音書』

②『歴史徴候学』

③『ミカエルの使命』

 

 

「自由と愛の人智学」シリーズ

第一弾『ゲーテ主義』

     ー 霊学の生命の思想

 

         若き日のシュタイナー、

         よみがえるゲーテ

 

 

第二弾『キリスト衝動

        ー聖杯の探究

 

     ゴルゴタの秘儀が人類の

      進化に及ぼす影響はどの

      ように認識されるのか。   

 

<甦る名著>

『シュタイナー教育入門』

    現代日本の教育への提言

 ― 高橋巖著/若松英輔 監修・解説

          亜紀書房刊

 

 

 

横浜カルチャーセンターの講座     

 

第2金曜日18時30分~20時

<「ミクロコスモスとマクロコスモス」を読む>を行っています

教室またはオンライン受講で、音声のみの一週間のアーカイブ聴講も可能です

 

詳しくは、朝日カルチャーセンターHPをご覧下さい