高橋巖・人智学吉祥寺講座、町田講座および「ソフィアの会」の独り言 2019

吉祥寺講座

 

 

[バガヴァッド・ギーターの眼に見え基盤]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

112日☆年頭の板書。

 

    「状況とは」(電子辞書より)

 

    状況とは、客観的な環境のことではなく、「人間がそれによって生きざるを得

    ず、また生きることによってのみ開示される場をいう。」

 

    人間は状況のうちでの存在である。状況のうちに制約、拘束された、という意

    味ではなく、「人間は状況のうちでのみ、自由の主体として存在することがで

    きる。」

 

      (「」は、たぶんヤスパースの引用でしょう、と先生が。)

 

      

 

 

 

      人間はいつどんなときにも限界状況を生きている(実存主義)。

 

      限界状況の中でこそ自由が体験できる。

 

      『自由の哲学』は状況論! どんなときでも自由が試されている。

 

      

      相手の状況を自分の状況として体験する=「融合」

 

     

      動物と人間を区別するポイント。 状況と融合。

 

 

      人間は融合できるから、人間なんだ。

 

 

 

9☆シュタイナーの危機感。

 

      人類が地球を滅ぼす。

 

      権力者が、地球意識、人類意識を持っていない。

 

    

 

 

     クリシュナ衝動とキリスト衝動。

 

      二人の少年イエス。

        

         ルカ伝のクリシュナの魂と、マタイ伝のツァラトゥストラの魂。

         そして3年間だけ、キリストが受肉した。

 

 

 

    

 

    シュタイナーの思想は、孤立無援になって、もがきながら道を求める思想。

 

    孤軍奮闘する、その働きの中で道が見えてくる。

 

    シュタイナー学校でなければシュタイナー教育ができない、のでは本末転倒。

    シュタイナー教育はどこでも、不自由な教育環境でもできる。

 

    公立でも私立でも予備校でも。

 

    「シュタイナークラス」として。

 

 

 

 

3月9日☆悪戦苦闘する。

 

    或る状況のもとで悪戦苦闘して手に入れた思想が、生きた思想。

 

    与えられた状況の中で悪戦苦闘してこそ、はじめて思想が生きてくる。

 

 

    悪戦苦闘せずに、安易に日常の論理で最高のものが伝わるのか。

 

 

    或る思想を読むときも、完全にその思想の中に没頭して、悪戦苦闘して読まないと

    生きてこない。      

 

    ギーターを、生きた思想として読む。悪戦苦闘して読む。

    

                ・

                ・

                ・       

 

    「悪戦苦闘」、この言葉を先生は今日、何回口にされたことか。

 

 

 

 

5月25日☆9講(最終講)。

 

     サットヴァ、ラジャス、タマスという概念。

 

     ギーターの時代、人びとは環境と一体化していた。

 

     環境を客観化し、環境から自由になるために、環境のサットヴァ状態、ラジャス

     状態、タマス状態を理解し、自己意識を確保しなければならなかった。

 

     アルジュナの魂を環境から独立させ、解放することがクリシュナの課題。

 

     さらにクリシュナはアルジュナに、サットヴァ、ラジャス、タマスのどの状態に

     もとらわれない、自由な「自己意識の創造者たれ」と諭す。

 

     

     そして私たちは今、その自己意識の時代の終わりにいて、自分の自己意識を病気

     になってしまうまでに強めてしまった。

 

     「あらためて魂の救済を求めている人たちは、ふたたびあの三つの外的状態の理

     解に導いてくれるものに耳を傾けようとしています。」

 

     現代、三つの外的状態を理解することに、どんな意味があるのか。

 

 

 

 

7月6日☆先回で、9講まで一通り講義は終了しました。

 

    今回から3回の予定で、1講から「おさらい」です(ただし3回はあくまでも予定で

    す)。

    その後、『バガヴァッド・ギーター』そのものを1回読み合って、この「ギーター

    の目に見えぬ基盤」は本当に終了の運びとなります。

 

    でも今回、おさらいは、1講の8ページまでしか進みませんでした。

 

    このテキストも、読めば読むほど、そこに込められたシュタイナーの強く、熱い思

    いが伝わってきます。

 

    ギーターは「身近かな、親しみのある仕方で、あらゆる存在の中に生きている永遠

    なものの秘密へ導いてくれるのです。永遠なる源泉への止むことのない探求へで

    す。その源泉の中に見出せる「至上の愛」を活性化するものへの探求へ、私たちを

    導いてくれるのです。」

 

 

 

 

9月7日☆ふたたび1講から5講までのおさらい。

    ただ、今回は1講だけの感想を参加者が順番に述べました。

    言いたくない人、今は言えない人…等々は、パスできます。

    (でも実際、他の人の感想を聞くだけでもかなり面白いです。人は本当に様々なん

    だなぁ、と思います。)

 

    次回9月21日は6講から9講までのおさらい。

 

 

       テキストを読み直す時の心構え。

 

        記憶に頼らない。 

        これはもう何回めだ、とか思って読まない。   

        「初めて読む本」と思って読む。

 

        そうすると霊的体験の元になる「縁」がその本とできる。

    

 

  

    そしてその次の10月5日は「バガヴァッド・ギーター」の詩そのものを読んでの感

    想を語り合います。

    (先生のお薦めテキストは、

      『神の詩 バガヴァッド・ギーター』田中燗玉訳 TAO LAB BOOKSです。)

 

    そしてそして10月26日から新しい講座が始まります。

    「アカシャ研究による第五福音書」クリスティアニア(オスロ―)

     1913年10月1日~6日(全5講)です。

 

    お楽しみに~♪

 

 

 

 

 

 

[アカシャ研究による第五福音書]

 

 

 

10月26日☆「キリスト教は、キリスト教の本質を何も理解していない人たちによって普及

      しました。…奇妙なことに、キリスト教は、その擁護者も敵対者も、キリスト

      本来の精神を何も理解しないままに、世に出たのです。そしてそれにも拘ら

      ず、人びとはこのキリスト衝動を世界に普及させる力を魂の中に担っていたの

      です。」

 

      「キリスト衝動」とは、大乗仏教の如来衝動のこと。

 

      「一人ひとりの中のキリスト」とは、「どんな人の中にも如来が生きて働いて

       いる」ということ。

 

 

       徹底的に相手の立場に立とうとする。

        

       ― 私だからあなただ、あなただから私だ。

 

       と思えたとき、キリスト衝動が生きている。

 

       それは運命共同体。

 

 

       「第五福音書」は、「私だからあなただ、あなただから私だ」、という

        20(21)世紀の新しい運命共同体のための福音書。

 

 

 

 

11月16日☆「現代を生きる私たちにとって、この問題が特別重要だからこそ、第五福音書

      について語る」

 

 

      だから「第五福音書」は現代の私たちに対する福音書。

 

      時間を超越した神が、20世紀のために語っているコトバ。

 

 

      「聖霊の声を聴きとるため」に書かれている。

 

 

      われわれ人間が一人ひとり、聖霊になって相手と向き合わねばならない。

 

                 ― 地球そのものがもう長くない、という神の思い。 

    

      

      人智学的なキリスト理解が必要な時代がきた。

 

 

      「そしてこの聖霊降臨の出来事から今述べたキリストの力の流れが地上に注ぎ

       込まれました。一体、聖霊降臨とは何だったのでしょうか。霊学によるその

       答えはこうです。― 聖霊降臨とは何か、という問いに答えるところから、第

       五福音書が始まるのだ。」

 

 

      自分たちの中にも起きている聖霊降臨を、20(21)世紀の課題として実感す

      る。

 

 

      相手に愛情をもって語るとき、聖霊が語る。

 

 

      韓国にも聖霊で向き合いたい。どうしたら互いに愛情で向き合えるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・町田講座

 

 

[人智学 21年後の総括ー同時に世界の前でそれを代表するときのための指針]

 

 

2月12日☆第4講。

 

     道徳とは何か。

 

 

     世間一般で言う道徳 ー この世の生活に適応する行為。

                 法律に従えば道徳的、従わないと不道徳。

 

                学校教育は、どうすれば社会に適応できるか、その術を教

                える。

                

               「適応」は受身。だから学校教育は受身の態度を教える教

               育になりかねない。

 

 

     シュタイナーの言う道徳 ー 自分から「やりたい」と思う気持ちが道徳的。

                   能動的に生きることが道徳的。

                  

                   だから世間一般の道徳とは正反対。

 

 

 

 

     第1の思考と第2の思考。

 

 

     第1の思考は、通常の、受動的な思考。外からの印象を受けて思考する。

     

     「人は一度、思考のこのまったき無能力を根本的に感じとらなければなりませ

      ん。そうすれば、この通常の思考を超えようとする衝動を持つようになるでし

      ょうから。」

 

 

 

     第2の思考は、その「通常の思考を超えた」思考。瞑想による思考。

 

     「瞑想とは、通常体験するのとは異なる仕方で思考を体験することなのです。」

 

     「私たちが繰り返して魂的に努力し、その思考内容を意識化し、魂のいとなみの

      すべてをそこに集中するならば…魂のいとなみを強化できるのです。」

 

 

     人智学とは、学校教育で偏ったものにされてしまった思考を、

                           瞑想することで取り戻す行為。

 

     今持っている思考の力だけで生きていることに不安があるのか、ないのか。

 

     思考で判断することで人生が事足りるのか。

     

 

 

     しかし、人智学はいくら瞑想を深めて第2の思考を持ったとしても、エリート意

     識や、権力志向、差別感覚とは無縁。

 

     他者の第2の思考を自分の第2の思考のように感じる。

                  

                   ー 問題は、他者の中にどこまで入っていけるか。

 

 

 

 

3月12日☆私たちの慣れ親しんだ「自然科学的思考」では、

 

     「一体どのようにして道徳衝動は骨を筋肉で動かすことができるの」(P.69)か、

 

     わからない。

 

 

     自然科学は天地創造のエネルギーを問題にしない。

 

     そのエネルギーに叡智が働いている。

 

     自然科学は、その叡智が見えない。

 

     自然科学には、生命論、意志論が存在していない。     

 

     私たちの思考そのものを根本的に考え直さないと、本当の意味で自然はわからな

     い。

 

     

     だから、瞑想によって通常体験するのとは異なる仕方で「思考を体験する」

 

     受け身ではない、能動的な思考。

 

 

     それが、ブラヴァツキーとシュタイナーが目指した「自然科学では手の届かない

     真実を追求する」ための第一歩だ。

 

 

 

 

5月21日☆第4講。

 

     第2の人間、エーテル人間。いのちそのもの。

 

     肉体は地球によって支えられている。

     エーテル人間は全宇宙によって支えられている。

 

     宇宙に、モノを創る、創造のエネルギーが流れている。

     地上だけに眼を向けていると、その尊いいのちの流れが見えなくなる。

 

     物質世界の中に、エーテルを、いのちのいとなみを見る。

     人はいのちに対する感覚はもっているが、ふだんは意識していない。

 

     芸術は、それを意識化する。

     美的体験=いのちの体験。エーテル体験。

 

     「叡智」はエーテル体に発する、いのちのいとなみ。

 

     物質の法則では捉えられない、もっとすごい、地球を超えたもの。

     宇宙そのものがいのち。

     自分が第二の宇宙的存在、ミクロコスモスだと、思えるか。

 

         - - - - - - - - -

 

     ギリシア哲学の「イデア」(神の働き)が人間の中の霊的働きになると「ヌー

     ス」になる。

     「ヌース」とは、一般的に訳されているような「知性」では決してありません。

 

 

 

 

9月3日☆第五講。

    いよいよ自我です。

 

    でもその前に再度、物質について、エーテル体について、アストラル体について。

 

    「私たちは地上において、固体状の素材の中に物質成分を見ることができ、液状の

    ものの中に、特に人間の中でのその作用の中に、エーテル成分を、空気状のものの

    中に、すでにアストラル成分を見ることができます。」

 

    「奇妙なことに、唯物論は物質について実に無知なのです。物質の作用についてま

    ったく分かっていないのです。私たちは物質の中に働いている霊性を、力として働

    いている霊性を視野にとらえることができなければ、物質の作用については何も経

    験できないのです。」

 

    だから「思考内容を通してこれらの霊的本性にまで達する人間は、思考しつつ事物

    を理解することができるのである」という(つい先日金曜カルチャーでの)『神

    智学』の一文に通じます。

 

 

 

11月5日☆第5講続き。

 

     5講・6講の課題。― 宇宙的創造力を自分の中で育てる。

 

 

     物質・肉体の次元は、空間と時間は別々。

 

     エーテル体、アストラル体の次元では、過去もすべて今の中に生きている。

 

     空間を超越した次元を、どうイメージするか。

 

 

     頭でわかろうとするのではなく、イメージを作って、それを自分の中で生かそう

     とする。

 

 

 

     エーテル体は時間存在。時間的なものは統一体。

 

     時間が空間になる。

 

     時間の空間化といのちが結びついている。

 

     過去を現在として感じられるか。

 

     過去を現在として生かすことができるか。

 

     どんな人も、時間存在としての自分が天地創造の神から委託を受けている。

 

 

 

 

     人間のアストラル体は本来、霊界に留まっている。

 

     そして、その仮象を人生の中へ投げ入れている。

 

 

     アストラル体験 ― 途方もない宇宙的出来事に今かかわっている。

 

 

     瞑想の中で、自分のアストラル体を体験する。

      

                  ― 自分の中に壮大な風景がある。山や川が見える。

        太陽が光を送り込んでいる。

          太陽がなかったら何も見えない。

        私の中のアストラル体は、私の太陽だ。

 

 

 

     「人間以外の自然の中に高次の諸世界が現存する。しかし人間は時間の中へ、

      時間的経過の中へ入っていかなければ、この高次の世界に出会えない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

                 

 

 

 

 

・ソフィアの会

 

 

[すべての人にベーシック・インカムを(基本的人権としての所得保障について)]

 

 

1月30日☆まえがき~第1章までをYさんがレポートされました。

 

 

     レジュメは1.理想、2.現状、3.考察とあり、各項の最後にまとめの文がありま

     す。

 

 

     1.理想ーベーシック・インカム(以下BI)の要請(「まえがき」より) 

     

      BIは、個人それぞれの内的な要求を、より自由に表現できる外的環境の実現を

      新しい理想として掲げている。

 

 

     2.現状―全面的な他給自足経済(第一章より)

     

      全面的な他給自足経済における外的環境からの要求は「良い生産者」であるこ

      と。「良い生産者」であれば、社会的な側面での成功が得られる。

 

 

     3.考察ーNさんの悩み(内的要求と外的要求との葛藤)

     

      ここでは、Yさんの知人Nさんが、以前からやっていた習い事の作品が評価され

      るようになって、そのことだけに専念したいという気持ちが次第に高まってき

      たのだが、現状では生活のための仕事もあり、そちらの仕事を減らすと、経済

      的に支障が出てくる恐れがあるし、何より余裕を失って作品自体にゆとりがな

      くなっては本末転倒になってしまう…という悩みを紹介した上での設問です。

 

 

      ・Nさんはどのようにして、自分の外的な生活に働きかけていけばよいだろう

      か?

 

 

      ・もしあなたが明日から、BIが実現した社会に移行できるとしたら、あなたの

      生き方はどう変わるだろうか?

      まったく同じ仕事をするにしても、生活のために行う場合と、そうでない場合

      とでは、どんな違いがあるだろうか?

 

 

     

     特に最後の問いかけは、BIを考えるときの本質的なポイントだと感じました。

 

     BIは、まさに私たちの「生き方」を問うているのだと思います。

 

     誰もが「人間らしく」、さらに言えば「自分らしく」生きられる世の中にするに

     はどうしたらいいのか。

 

     おとなも子どもも。

 

      

     BIにさんせい! はんたい! う~ん、なんかまだよくわからない。 

 

     どれでも構いません。

 

     BIについて考える。話し合う。めちゃくちゃ話し合って、結論など出ない。

 

     ソフィアの会は、そういう会です。

 

     どうぞ、皆さんのご参加をお待ちしています。

 

 

     次回は2月27日(ちなみに3月は20日)、会場は原宿・千駄ヶ谷区民会館です。

 

     『すべての人にベーシック・インカムを』(ゲッツ・ヴェルナー著 渡辺一男訳

     現代書館)の第2章(市民権としての所得)の86ページまでを読んで感想を述

     べ、推薦図書を一冊挙げます。

 

    

 

 

 

3月20日☆第2章86ページまでのMさんのレポートです。

 

     Mさんはネットから3種類の記事をコピーして配布されました。

 

     1.「立場で異なるBIの考え‐ネコでもわかる経済問題・総合」より

     2.「吉本隆明「シモーヌ・ヴェイユの神」無文日記」より

     3.「YAHOO!知恵袋ー聖書の「ぶどう園の労働者のたとえ」について…」より

 

 

     1.では特に、「悪いBIについて」と題された箇所で、自分たちの立場や状況を強

     化しようとするBI、あるいは普遍的な立場から行おうとするBIが「悪い」BIに陥

     る、と話されました。

 

     国や政治家を変える以前に、自分がまず変わらなきゃいけない。

 

     BIはイデオロギーではない。自分と向き合うしかない。

 

     BIは、すべての人が文化的な生活を送るためのもの。

 

 

     私たちがヴェルナーさんの本を読むのは、BIを考えるきっかけを作るため。

     そして皆と話し合うため。

 

     そこに正解があるからではない。

 

 

     

     2.では、ヴェイユの労働観について。

 

     生きることは宇宙と触れ合うこと

 

     自分に向き合うことは宇宙と向き合うこと。

 

     生きることは宇宙と触れ合うこと、そして自分と触れ合うこと。

 

     生きている、そのこと自体が労働だ。

 

     

 

 

             3.では、「ぶどう園」が天の国(神の国)であり、この世的な論理は通用しない、

     という箇所は納得できるが、だからイエスが教えた愛は、神の国でのみ実現するも

     のであり、この世で実現し得るものではない、という所は頷けない、という意見で

             した。

 

 

 

             他には、民主主義に変わるものがあるのか、現在、特別会計は公開されているの

     か、等々の議論がありました。

 

    

    次回は、4月10日、千駄ヶ谷区民会館で、同じく第2章の87から109ページまでで

    す。

 

 

 

 

5月29日☆Kさんによる第2章87ページ「古い労働から新しい労働への文化的変遷」から109

    ページ「すっかり計算済みですか?」までのレポート。

 

    Kさんは順を追ってそれぞれの要点をわかりやすく話されました。

 

    特にその後の話し合いでも話題の中心になったのは、「古い労働と新しい労働」と

    いう概念。

 

    ヴェルナー氏の言う「古い労働」とは、かつての自給自足の時代から今に至るまで

    連綿と続く「自然の原料を加工して製品を生産する」ための労働。

    

    この「古い労働」の本質は、労働は上から下された指示に従わねばならないこと。

    

    かつてはより良い収穫を求めていたのが、今はより良い所得を求めている。

 

    現在は、すっかり他給自足の時代になったのに、いまだに労働といえば自給自足時

    代の労働の概念そのままであることに人びとの多くは気づかない。

 

    

    「新しい労働」とは、人間に関わる労働、文化的な労働(教育や介護、芸術等)。

 

    古い労働が問題にするのは、所得の最大化であり、新しい労働が問題にするのは、

    意義の最大化。

    そして新しい労働が、将来の労働市場であり、ベーシックインカムがこれを支え

    る。

 

 

    だからもちろん、「新しい労働」も昔からあるので、古いが新しい労働、となって

    しまい、それがわかりにくい、と高橋先生からクレームが。

 

    先生が言われたのは、「他人(ひと)のためにするのが労働、自分のためにするの

    が生活」ではないか、と。

 

    それを受けて、参加者からは、芸術活動は一見個人的衝動のように思えても、人間

    はこの世に生まれた時から社会的な存在であり、やはりそれは社会的な衝動なので

    はないか、という意見が多く出たところで時間切れとなりました。

 

 

 

7月31日☆Yさんによるレポート。

 

     今回は第2章の後半部分でしたが、Yさんは第1章から第2章前半も「振り返り」

     としてレジュメにまとめてていねいに押さえて下さったので、これまでの流れも

     再確認することができました。

 

 

     その「振り返り」では特に、

      

      収入は稼得労働による、という「誤解」、

      

      現在、労働と所得が分離可能な発展段階にいるという認識の必要性、

      

      物質が不足しているわけではなく、貧困は分配の問題であること、

      

      もう長期間、社会は「他給自足」社会であるのに、貨幣のヴェールによって

      

      「自給自足」の古い考えに縛られていること、

                        ・・・ 等々が話題に上がりました。

 

 

     今回の本題、109ページから126ページのレポートでは、小見出しごとに「討議

     提起」として、

 

      極端な高賃金がなくなるとはどのようなことを意味するのか?

      

      人間労働が機械労働に代わって助成金を受けることで(労働報酬が)50%安価

      になる、とはどのようなことか。

 

      普遍的な専門家とは何か。

 

      問題は上流階層の傲慢であり、退廃であるとはどのようなことか。

 

      「何から何まですべての面倒をみる」ことは結局あらゆる自己責任の感覚を奪

      ってしまう。とあるがこれについてのご意見を窺いたい。

 

     

     とあり、それぞれについて忌憚なく意見を述べ合いました。

 

     特に印象に残ったのは、最後の討議提起に関して、

 

     健康保険制度について、124ページ「保険が利くなら、高いほど良い」、「自己

     負担できない(あるいは負担したくない)場合には、処置や処方箋は安いほど良

     い」という「あなたまかせの思考が常態化」しているのは日本でも同じであり、

     本書にあるように、(スイスで行われているような)国民健康保険を「基礎保

     険」とし、れにプラスして民間保険会社の提供する「オプション保険」に任意

     で加入するという形を考えるなど、根本的な話し合いと改革が必要、ということ

     でした。

 

 

     以上、第1章、第2章をふまえて、次回は、第3章「信頼は人間を醇化する」を読

     んで感想を述べ、推薦図書を挙げます。

 

     9月18日18時半から、会場は同じく千駄ヶ谷区民会館・会議室1号です。

 

 

 

 

10月30日☆「第3章 信頼は人間を醇化する」のT.Mさんのレポート。

 

     T.Mさんは一昨年同様、プロジェクターを使って説明されました。

 

     第3章全体が23枚の図に丁寧にまとめられていて、それぞれの従業員が、真に顧

     客のために(上司に気に入られるために、ではなく)自発的に動ける下地がどう

     できているのか、細かい点までよくわかります。

 

     ただ、比較的少人数の会社ならこういうことも可能だとは思うが、という意見に

     対して、デーエムは数多くの店舗数を有する大企業だということで、実際にそう

     うならそれはすごいこと、という感想を皆持ちました。

 

     そして互いの信頼関係が不可欠、ということから、最近話題になっている教師同

     士のいじめの問題や、会社でのいじめ、日本企業の体質の変化、アメリカでの企

     業体験等にも話が及びました。

 

     デーエム内の信頼関係は、やはり最初の時期に従業員が受ける演劇の研修に負う

     ところが大きいように思われます。

 

     皆で一緒に一つの劇を作り上げる、ともに精一杯力を合わせて表現する、という

     体験で、強固な信頼関係が育まれ、その土台があるからこそ、デーエムの企業理

     念が十分に生かされているのだと思います。

 

     出席者からは、実際にこの本の通りなのか、デーエムで働いてみたい、とか、お

     店に行ってみたい、一歩店舗に入ればその店の雰囲気は分かるから、などといっ

     た感想が出ました。

 

    

     最後にT.Mさんのつぶやき。

 

     「大企業の経営者なのに、こんな本を書く時間があるなんてヴェルナーさんてす

     ごい。もう経営は人に任せているのかも。人を育てるのがうまいのか。」

 

 

     次回、11月20日は千駄ヶ谷区民会館、和室です。

 

     第4章「所得税に代えて支出税(消費税)を」は2つに分けて、前半207ページま

     での感想を述べて、推薦図書を挙げます。

 

 

 

12月18日☆第四章前半のHさんのレポートです。

 

     第四章は最終章、

      「所得税に代えて支出税(消費税)を

           ― 消費課税だけが経済的に必要で、社会的に公正なのはなぜか?」

 

      という、いよいよ「財源を消費税一本に」というBI論の山場を迎えました。

 

     Hさんも、小見出しごとに内容をていねいにまとめられました。

     ヴェルナーさんの文章は一見、分かりやすいようなのですが、読んでいくと専門

     的というか、色々と難解な部分があって、途中でわけがわからなくなるときがあ

     ります。 

 

     Hさんのレジュメと説明で、「ああ、そういうことなのか」と第四章前半の概要

     をつかことができました。

 

     今回の部分の小見出しはこうなっています。

 

     ・ドイツの行政肥大化の権化はどこに見られるか?

     ・バッタとミツバチについて

     ・グローバリゼーションの遊牧民

     ・貨幣と公正性

     ・社会の分配比率としての租税

     ・貨幣、資本、所得、消費

     ・創造的な力としての労働と資本

     

 

     Hさんのレポートを基に、参加者でさまざまな話し合いをしたのですが、私が一

     番印象に残っているのは、BI導入について、一般人はたいていは賛同し、専門家

     は反論してくるが、財源提案(消費税)については、一般人は不満を漏らすのに

     対して、専門家は賛同する、という箇所です。

 

 

     一般の人が、BIの財源を消費税にするのに不満なのは、今のままで消費税がまた

     上がるのはたまらない、と思うからですが、その場合、「税金を消費税だけにす

     る」という説明が不足している、あるいは説明しても具体的なイメージが湧かず

     に、感情的に反対、となるのではないでしょうか。

 

 

      他の一切の税金、所得税、相続税、固定資産税、法人税等々を廃止して、消費

      税一本にするとどうなるか、ということをもっと具体的に話し合い、考え合い

      たいと思いました。

 

 

      例えば、一つの商品ができるまでにはさまざまな税金が加算されているので、

      それを消費税だけにすると、今の値段とさほど変わらなくなる、とか、毎年一

      か月は青色申告のために使わなければならない時間と労力から解放される、と

      か。

 

 

      たしかに税制改革実現のためには、ヴェルナーさんの言う「文化衝撃」が、そ

      して「新しい思考」が必要です。

      

      

      ささやかな読書会ですが、その実現に向けてこの「ソフィアの会」がありま

      す。

 

 

      次回は、1月29日、同じく千駄ヶ谷区民会館です。

      このテキストの最後の部分(207ページ以降)について読んで、感想を話し合

      い、推薦図書を挙げます。

 

 

      なお、来年2月で現在のテキストを終えて、3月からは、ルトガー・ブレグマン

      著、野中香方子訳『隷属なき道』(文藝春秋刊)に入ります。    

 

 

 

 

 

  

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

      

 

      

 

 

 

  

 

 

 

 

吉祥寺講座

 

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「危機の時代の人智学」シリーズ  

         春秋社刊

    ルドルフ・シュタイナー

           高橋巖訳

①『第五福音書』

②『歴史徴候学』

③『ミカエルの使命』

 

 

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第一弾『ゲーテ主義』

     ー 霊学の生命の思想

 

         若き日のシュタイナー、

         よみがえるゲーテ

 

 

第二弾『キリスト衝動

        ー聖杯の探究

 

     ゴルゴタの秘儀が人類の

      進化に及ぼす影響はどの

      ように認識されるのか。   

 

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『シュタイナー教育入門』

    現代日本の教育への提言

 ― 高橋巖著/若松英輔 監修・解説

          亜紀書房刊

 

 

 

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